2010年11月13日土曜日

援助のあり方


途中寄ったある村でとっても考えさせられるような出来事があった。
こうこうこういう援助をして出来上がったのが、
はいっ、このプレハブの屋根の家なんです!というのだ。
 
確かにプレハブの屋根は雨漏りはしないし、
それによって病気を防ぐことができるかもしれない。
でも、果たしてそれを手放しで「すごーい」と言ってしまっていいのか。
わたしにはわからなかった。
 
だって、プレハブは外から持ってきたもの。
ここに元々あったものではない。
壊れたらどうするの?自分たちだけでは治せない。
 
それにもし、彼らがこの土地を離れた時、
長い長い時間が経てば土の壁や木のドアは
自然に返ることができるだろうけど、プレハブだけは残ってしまう。
  
事実、この近くの道にはいくら雨が降っても土に返ることができない
たくさんのプラスチックのゴミたちがそのまま捨てられていた。
先の記事でも触れたけれど
それは外から持ってきてしまった人の責任。
 

なぜ、この茅葺の屋根を活かすことを、
彼らの文化を尊重することを選ばなかったのか。
雨漏りをするのであれば、
そうならないように、今のものを補強する。
彼らが持っているもので何とかできないかを考える。
 
それこそが地球の未来へ繋がることだと思った。
これからの援助は環境にも配慮したものでなければならない。
先進国が援助を行う意義というのはそこにあるような気がする。
 
そして彼らの文化を残すこと。
だって、プレハブの屋根の家よりも茅葺の家の方が
カメラのレンズを向けたいと思うから。
そっちの方がフォトジェニックだと思うということは、
そっちの方に魅力を感じているということ。
 
その両方を実現していたのがコーヒーに目をつけた
ベレテ・ゲラの援助の在り方であり、
この後に登場するルワンダの人たちの生き方だった。
 
ルワンダではどこに行っても赤土で屋根を作っていた。
素敵だな、と思ってルワンダ人にエチオピアで感じたことを
話すと「プレハブは嫌いだよ。雨が降るとうるさいし。
それにここに元々あったものじゃないから。
壊れたら自分たちで治せない」
 
自分が思っていたことと全く同じことを
彼が口にするのを聞いて嬉しかった。
 
きっといろんな考え方の人がいて、
プレハブに変えるという近道の援助の方を
評価する人もいるだろう。
 
だけど、これからは何をするにも
絶対に環境を考えてプロジェクトを
組まなくてはいけない時代にきている気がする。
それこそが、先進国だけでなく
この地球に住む人間の責任だと思うから。