2011年3月1日火曜日

没後120年 ゴッホ展


一番好きな画家はモディリアーニだけど、
見渡すとうちで一番多いのはゴッホの画集だった。
そんなコレクションに今日またひとつ加わった。
 
雨の火曜日向かったのは名古屋市美術館。
そう、今開催されている企画展は没後120年 ゴッホ展だ。
 
サブタイトルが「こうして私はゴッホになった」というように、
初期の作風からどんな風にして、
ゴッホのオリジナリティが作られてきたのかがわかるようになっている。
 
どんな巨匠にも下積み時代、若手の時期があったのだ。
 
ゴッホは独学の芸術家だった。
彼は初期の頃から、著名な巨匠たちの版画や
技法書に掲載されている素描などを模写することによって
自分自身を鍛えてきたのだという。
 
最初の方はミレーに影響を受けたゴッホの鉛筆画や
油絵でもリアルさを求めているようなものが続くのだが、
何より驚くのは、この時期の絵には一切の鮮やかな色が
使われていないということ。
ほとんどの絵が暗い色でまとめられているのだ。
 
あのゴッホらしい鮮やかな色が出てくるのは
その後、1886年にパリに移住した後からだろうか。
ちょうど、展示も二階から一階へ移動してきたころなので
何ともわかりやすい。 ここから第二部という感じだ。
 
そしてこのあたりから、みんな一つひとつの絵にかける時間が
長くなっていたような気がする。
後半に行くにしたがって、絵の前に短い列ができていた。
 
そりゃあ、そうだろう。
眩しいくらいに鮮やかな色彩で、やさしいタッチ、
観ているだけで何だか胸がキュンとする絵が並んでいたら、
誰もがその前から動けなくなってしまう。
その場を離れてしまうのが、もったいなくて。
 
好きだったのは「マルメロ、レモン、梨、葡萄」という
ほとんどを黄色で描かれた果物の絵。
額にまで装飾が施されていて、
それ全体が太陽のようだった。
 
そして「糸杉に囲まれた果樹園」に描かれた木に咲く花の
ハッとするような白の鮮やかさ。
「緑の葡萄畑」に描かれた葡萄の皮の艶。
 
映画のようにストーリーのあるこの展覧会は
どんどん盛り上がりを見せ、 そのままの勢いで
アルルでのゴーギャンとの共同生活へと突入していく。
 
あの有名な「アルルの寝室」(今回は部屋の再現も!)に、
「ゴーギャンの椅子」にと、彼のエネルギーは
最高潮に光を発して!! ・・そして。 爆発したんだろう。
 
それがきっと自ら耳を切ったあの瞬間。
もちろんそれが描かれていたわけではなかったけれど、
何だか流れで絵を観ていると、
音楽がどんどんクレシェンドして昇りつめて、
ふっと消えた瞬間を感じたような気がしたんだ。
 
そこからまた静かに音が始まった。
少しやさしい色彩の絵が続き、その後には、
これまでの眩しいくらいの鮮やかさとは少し質の違う、
もっと落ち着いていて、だけど前よりもぐっと鮮やかな絵が
最後に腰を据えていた。
 
彼が療養院で描いた絵たちだった。
全体を通しても私が一番惹かれたのは
この時期の「サン=レミの療養院の庭」と
「草むらの中の幹」という作品だった。
 
この時期の彼はとても(心身の)状態は悪かったようだけれど、
絵を見ると、そんな中でも自分の中の静かな部分を
ちゃんと見つけていたんじゃないだろうか、と思う。
 
そして、微かに残っているその自分の大事な部分を
無くなる前にキャンバスに残そうとしたのではないか、と。
 
壮大な映画を見てきたような、
とてもドラマチックでストーリーのある展覧会だった。
 

グッズもかわいかった。
実家の両親にも送ってあげるつもり。
 

そして週末はこの本片手にキッチンに立つことになりそう。
 
名古屋市美術館で4月10日まで!