2010年12月31日金曜日

サンバサ、塩漬けは日本人の知恵


キブイエにはもう一人、村落開発普及員として派遣された
下山ひろみさんという愛知県出身の協力隊員がいた。
 

彼女はここでは現地の言葉、
キニアルワンダ語で村の人たちと会話をする。
 
彼女も関さん同様、この村の人たちに
とても信頼され、そして愛されていた。
どこに行っても「ひろみ、ひろみ」と呼ばれ、
話し始めるのでなかなか前に進まないほど。
 

まずはサンバサという魚に関する活動を見せてもらった。
 
キブイエには湖があり、サンバサという魚がたくさん獲れる。
水もあるので野菜もよくとれる。
食糧は潤っているけれど、学校に行ったり貨幣経済の中で
生活するにはやはり現金収入が必要になる。
  

内陸国であるルワンダにとって魚はとても貴重だった。
首都のキガリに持っていけば売れるだろう。
 
だけど、輸送の間に魚はきっと痛んでしまう。
どうしたら?
 

そこで彼女は考えた。
「そうだ!塩漬けにしてみたら?」
 
塩漬けというのは日本人ならではのアイデアだった。
 

塩漬けにしたサンバサをおいしく食べる調理法、レシピも
考えようと現在地元の女性と考案中。
 
彼女にしか出せないアイデアがここではどんどん生み出され、
形になっていた。「すごい」「すごい」何度連呼したかしれない。
 
協力隊員1人1人の力がその地に作り上げているものが
あまりにも多くて、感動しっぱなしだった。
「ありがとう」もうその言葉しか出てこなかった。
 

ランチは地元のレストランへ。
ルワンダではビュッフェが普通なんだそう。
 
でもおかわりはできないらしく、
みんな最初からお皿に山盛りとってくる。
 
土のせいか、人参の味が濃くて本当においしかった!
 

さぁ、お腹いっぱいになったら
次は虐殺が行われたという教会へ向かいます。
 

キブイエの学校


ようやくキブイエという地にある、
セントマリー・キブイエ中校学校へ到着。
   

ここに理数科教師として赴任しているのは
青年海外協力隊員の関良太さん。
 
授業を見学させてもらった。
 

全部英語で行われる授業。
英語で専門用語を自分自身勉強するところからのスタートで
最初は大変だったという関さん。
 
それが今ではとても信頼されている良い先生。
  

生徒たちは真剣に話を聞き、 質問も積極的。
   
どんなところが日本と違うか聞いたところ、
「生物なんかはこっちの方が重箱の隅をつくような内容なんですよ」
 

「あとは、みんな横書きなのになぜかノートを縦に開いて
体をひねって横向きに書くんですよ」
 
え・・何それ!?と注意して見てみると・・ 
 

確かに、普通こんな風に書こうと思ったら
90度右に回転させた状態でノート開くよね・・。
 
こういう小さな違いもおもしろい。
 

生徒の机の中もこっそり見せてもらった。
 

こちらは職員室。
 

  

貼りだされていた時間割。
関さん担当の時間も結構多い。
 
「これが、来たときはもっとありえない多さで
少し減らしてもらったんですよ~」と笑う関さん。
 

今はそんな風に笑って話せても
最初来た時はきっと大変だったに違いない。
帰りたいって思うことも多かったんじゃないかな・・と思って聞いてみたら
意外な答えが返ってきた。
 
「それが帰りたいって思ったことないんですよ。
毎日がとっても楽しくて、逆に申し訳ないくらい。
学びの連続で素敵なことをいつも誰かに教えられるんです」
  

生徒達もみんな彼のことが大好きだった。 
 

校長先生も彼がいかに素晴らしい先生かをずーっと聞かせてくれた。
 

でも「ここにずっと残りたいんじゃないですか?」と笑って聞くと
 
「いや、それも楽しいだろうなとは思うんですけど、
今は日本に帰ってからやるべきこと、やりたいことがたくさん見えてきて、
それを帰ってちゃんとやりたいなって考えているんです。
日本にこそ必要なこと。足りないことがいっぱいある。
彼らから教わったんです。」
 
日本では「とりあえず外に出たい。出れば何か変わるんじゃないか」と
思っている人も多い。だから「自分探しの旅」や
「バックパッカーで世界をまわってきました」というのが
かっこよく語り継がれたりする。
 
この時わたしは、そんな人たちが何だか幼く思えた。
外に出ていろんなものを見て、確かに自分の肥しにはなるだろう。
それを日本に帰って何か活かして次の一歩を踏み出していたら
また話は別だろうけれど、現地の人からいろんなものを貰うばかりで
何の還元もなくそのまま終わってしまうケースを何度も見ていた。
  
「自分が何を還元できるのか」それこそが大事な気がする。
それこそがかっこいい気がする。
 
そして外に出て実際に還元している人の口から出る
「日本に帰ってやるべきことがある」の一言。
それすら、見えないで外にばかり目を向けるのは
嫌だな、と思ったんだ。
  
こんな協力隊員たちが世界中にいる。
その点と点をつなげていけるよう、
取材、続けていきます。
 

見えない問題


ルワンダに来て2日目。
昨日のディナーにしても、ホテルにしても、人のおだやかさにしても、
わたしにはこの国はとても豊かなように見えていた。
 
町もとてもきれいでゴミも滅多に落ちていなかった。
毎月最終土曜日は奉仕活動を行う日、となっていて
みんなで町のゴミ拾いをしたりするというのだ。
 

そしてルワンダは環境にとても力を入れている国で、
国を挙げてビニール袋を廃止している。
 
それは外から入っている旅行者にも徹底していて、
空港でビニール袋は全て没収された。
エチオピアの空港で大量に買ったおみやげが
全部ビニール袋に入っていたので、
一度スーツケースをその場で広げて入れ直さなくてはいけなかった。
  
でもこの徹底ぶりが、潔くてかっこいいと思った。
国内でも買い物をする時、紙袋に入れてもらうのだけど、
それも場所によってはお金をとられるので、
エコバックなんて当たり前。
 
そういう部分は日本よりよっぽど進んでいる気がした。
 

だけど、そんなルワンダにも問題はある。
そんなルワンダだからこそ、というべきなのかもしれない。
 
政府はそんな美しい国を保とうと「浮浪罪」というのを作っていて、
汚い格好でうろついていると逮捕されてしまう。
なのでストリートチルドレンたちは、
町から少し離れたこんな高架の下で雨露をしのいで
暮らしているのだという。
 
彼らは結局見なかったことに、
居なかったことにされてしまっているんだ。
  

一つの国のことを知るには
時間が足りなさ過ぎるのを感じながら車でキブイエへ向かう。
どれくらい知れるかわからないけれど、
でもできるだけたくさん吸収して帰ろう。
 
電車はないので、ずーっと車で移動。
先にも書いたようにルワンダは千の丘の国。
山道をぐるぐる何度も越えているうちに酔ってしまい
少し眠ることに。
 
起きたころ、木が白いペンキで塗られている道を走っていた。
「あれ、何?」と聞くと、「大統領選の時に歓迎の意味を込めて、
大統領がくる前に塗ったんだよ。」と教えてくれた。
 
協力隊員の待つキブイエまでは、まだまだかかりそうだ。
 

キガリのイタリアンディナー


千の丘の国と呼ばれるルワンダ。
日が暮れたころ、わたしたちはキガリの丘の上にある
レストランへ向かいました。
 

丘の上からはこの眺め。
空の色に町が溶けていきそうです。
 

 

 

こんな景色を見ながらの何と、イタリアンディナー。
味もおいしく、盛り付けもオシャレ。
こんなお店があるというのは、
この国の豊かな部分を表しているような気がした。
 
ここでJICAのルワンダ事務所の方たちにいろんなお話を伺う。
油や砂糖はこの国で作れるから安いこと。
内陸国なので、輸出品は高くなっていること。
そして、どのような支援をして、協力隊員はどんな活動を行っているのか。
 
明日からそんな活動を実際に見に行きます。

トモダチ


これはルワンダでできた友だちのおはなし。 
 

一日目に行った牛の角工房。
さとみさんが日本に持って帰るビデオを撮っている間、
わたしは工房の周りをぶらぶら歩きながら写真を撮ってた。
 

それを2人の女の子がこっちを笑いながら見ていた。
イェイとやってみるとイェイと返って来る。
ピースとやってみるとピースと返って来る。
 
わたしは「おいでよ!」と声をかけた。
 

彼女たちの名はデボラとエピファニヤ。
年は9歳と13歳らしい。
 

通訳のジョン=ミッシェルも工房の中にいて一人だったので、
わたしのお粗末なキニアルワンダ語でわかる情報はそこまで。
 
せっかくなのにどうしたものか・・と思ったその時、
彼女たちの腰についているタンクを発見!
ちょうど近くの井戸へ水を汲みに行くところだったらしい。
 
「ねぇ、ちょっと後ろ向いてみて」と後ろを向いてもらい、
それを太鼓にして踊ってみた!
すると大喜び。
 

子ども達どんどん集まってきて、
ルワンダのダンス見せてあげるよ~と踊りながら、
やってみて!と鳥ダンス(勝手に命名)を教えてくれた。
 
よく海外に行ったアーティストが音楽がつなげてくれた、
と言っていた意味がわかった気がした。
ナオトインティライミさん、このことだったんですね!(笑)
 

男の子たちも来て、かっこ良いポーズをきめてくれる。
 

 

 

 
 
わたしが子供たちに囲まれているのを見つけて
通訳のジョン=ミッシェルが出て来てくれた。
 
そこでようやく、
好きな教科はキニアルワンダ語!と英語。
嫌いなのは数学・・などなどいろんな話ができるようになった。
 

ジョン=ミッシェルが
「マイカ、ここの子ども達と
日本の子どもたちの違いってわかる?」と聞いてきた。
 
「違いなんてない」という言葉を期待しているのかと思っていたら、
「日本の子どもって喋れるようになるの早いよね。
小さい子でもよく話す。でもこの子を見てごらん。
3歳でも全然しゃべらないでしょ」
 
「そういえば・・。でもなんで?」
「僕にもなぜかはわからないんだけど。
僕はいつもそれが一番違うなぁ、て思うんだ」
 
とても意外な答えだった。
 
 

わたしは自分のメモ帳を取り出してみんなに絵を描いてもらった。
 
デボラは子供の絵を。
エピファニヤはお花の絵を。
ジャネットはボール。
ジャルディヌはボールと子供の絵を描いた。
 
絵も日本の子どもとはまた違い、とてもユニークだった。
普通何でも良いからって言われて
柄の入ったボールをあんまり選ばないよね・・。
 
でも楽しい時間はあっと言う間。
  
わたしはみんなにバイバイを言い、
工房へもう一度取材へ戻った。
 
しばらくして出てくると・・ 
デボラとエピファニヤだけが待っててくれた!
わたしは最後に2人の手に自分のサインと絵を描いた。
 

二人はとってもうれしそうに、
今度はわたしのペンと手をとって何やら描きだした。
 
「うわぁ、ありがとう!何を描いてくれたの?」
ジョン=ミッシェルが返ってきた答えを聞いて
とっても大きな笑顔を作った。
 
「これは・・トモダチなんだってさ!!」
 
ありがとう。
絶対に忘れない。
トモダチの証。
 
この手のインクが消えてしまっても。
今でも2人の笑い声ははっきり思い出せるから。