2009年8月18日火曜日

ルワンダ紛争より15年 講演会&パネルトーク


JICA中部 なごや地球ひろばで今週末
ルワンダ紛争より15年 講演会&パネルトーク 
のお手伝いさせていただきます♪
 
よかったらいらしてくださいね~。
 
日時: 8月22日(土曜)13時から15時45分
会場: JICA中部 なごや地球ひろば セミナールームB
 
紛争より15年が経ち、復興から開発へと
ステージを進めているルワンダ共和国。
文化や生活を紹介しながら歴史を振り返る。
 
1部 アフリカ平和再建委員会(ARC)事務局長 小峯茂嗣さん 
講演    演題「1994年のルワンダ内戦・虐殺による社会への影響」
 
2部 パネルトーク    
<司会>ZIP-FM ミュージックナビゲーター 空木マイカ    
 
トークテーマ:「ルワンダの現状」    
パネリスト:ARC小峯さん     
ルワンダからのJICA海外研修員エマブレ・ハビンシュティさん     
青年海外協力隊OG(派遣国ルワンダ)植永さん、渕田さん
 
申込方法:下記問い合わせ先まで電話またはメールにてお申し込みください
問合せ先:なごや地球ひろば地球案内人カウンター
     
電話番号:052-533-0121     
Eメール:jicacbic-annainin1@jica.go.jp
  
ホテルルワンダやルワンダの涙で大虐殺のことを知った!という方、
映画のそのあと、ルワンダでは人々は
どういう風にして立ち直ってきたのか、
映画のアフターストーリーを一緒に見ていきませんか。
お待ちしています!

サマーウォーズ


監督:細田守
声の出演:神木隆之介、桜庭ななみ、富司純子
       
高校生の健二は、世界中で10億人もの人々が集う
インターネット上の仮想世界OZ(オズ)のメンテナンスを
夏休みのバイトとしてやっていた。
 
ある夜、健二はケータイに届いた謎の数式を、
数学の問題と勘違いして解いてしまう。
それは仮想世界OZを崩壊させ、
現実世界までも混乱させる大事件の幕開けだった・・。
 
この映画は予想以上、期待以上の内容だった。
ストーリーがよく練られていて、
壮大なんだけどあってもおかしくないかも・・と
思えるところには怖さもあった。
 
便利さの代償として存在するリスク。
「ペリカン文書」や「博士の異常な愛情」といった時代を経て
今はこういうリスクも存在しうるというのを考えさせられた。
 
そして、今の時代に大切なこと
見極めていきたいこと、何をどうやって守ればいいのか、
を見せてくれたことがとても心を動かした。
 
アニメでこんなに泣いたことはなかったかもしれない。
真剣に号泣でした。
 
現在公開中。
 

2009年8月17日月曜日

絵は心の鏡

番組ブログにこれまで描いた自分の絵を載せるために
写真を撮ったのでせっかくなので
このブログにもUPしておこうと思います。
 

ウガンダで出逢った女の子。
 

友だちに誕生日プレゼントで頼まれて描いた絵。
 

わたしの中の極楽鳥。
  
この絵には描いた時に詩も一緒に作りました。
もうずいぶん前になるので今読むと笑えるのですが、
こんな感じ。
 
あぁ、極楽鳥。
あたしの中の極楽鳥。
 
あなたはなんてきれいなの。
その羽は誰より何より美しい。
 
ケーキがうまく焼けなくてもいいの。
気にしないで。
 
トイレが近くたっていいの。
堂々としてて。
 
有名になんかならなくてもいい。
お金なんてなくていい。
 
ただ、大きく大きく羽ばたいて、
高く高く飛べればいい。
自分だけの空を。
 
もっと自由に。 もっとしなやかに。
 
大丈夫。
あなたならそれができるわ。
 
わたしだけの極楽鳥よ。

 
まだデビュー前にうまくいかなかった時に
創ったのでした。
なつかしいなぁ。
 

茶道を始めた頃に描いたお茶碗の絵には
「人生」というタイトルをつけた。
 

そして今描いている絵がこのサーフィンの絵。
まだ描きかけですが。
 
絵はその時の心模様をとってもとってもよく表していると思う。
その時の自分の興味がテーマになっているというのもあるけど
それだけじゃない。 
  
このサーフィンの絵はもやもやしていた土曜日
筆を置くたび空がくすんでいった。
 
諦めて筆を置いて、お香を焚いてヨガをして
自分の気持ちを落ち着けるとぐいぐいと筆が動いた。
 
この絵がこのあとどういう風に変化していくのか
とても楽しみ。
それは自分自身を知ることでもあるから。

2009年8月12日水曜日

BALLAD 名もなき恋のうた


監督:山崎貴
出演:草なぎ剛、新垣結衣、夏川結衣、
    筒井道隆、大沢たかお
 
クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」を
「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの山崎監督が
実写でリメイク!
 
身分の違いからお互いに本当の気持ちを伝えられない
又兵衛と廉姫。
そこへ未来から小学生の真一がタイムスリップして
やってきて・・。
 
現代人と戦国時代の人のちぐはぐな会話や考え方が
とてもおもしろく、何度もクスクスと声をあげてわらってしまった。
実際この状況になったら確かにこうするよなぁ・・という
リアルさがシュールにツボ。
 
それから戦国時代の戦い方のルールみたいなのも
忠実に描かれていて興味深かった。
最初に長槍隊が槍で戦うのだけど、
この時は刺すのではなく叩くものだった、とか。
 
大人も子供も一緒に楽しめる映画かな、と思います!
9月5日 ロードショー

2009年8月11日火曜日

遊びと学び、そして選ぶということ


今日ご紹介した木のおもちゃ屋さん「遊ぼ」の
オーナーさんのお話がとてもおもしろかったのでご紹介です。
 
ちょっと長いのですが、自分の記録としても
残しておきたいなぁと思い、そのまま載せます。
 
「日本では「遊び」と「学び」は分けられがち。
でもドイツではそれが一緒なんです。


だから子どもたちが毎日触るおもちゃは
プラスチックや鉄でできたものよりも
自然のもので作られたものの方がいい。

 
子どもたちは「本物」を肌で感じて覚えていく。

 
おいしいものを味わっていないと、

おいしいのか不味いのかわからないように、
うちのおもちゃは食でいう

マクロ・ビオテックのようなものだと思っています」
 
「ツールにこだわる大人がいる。
時計だったり、靴だったり・・上質のものを。
子どもだってツールにこだわっていいと思う。

 
ぬいぐるみ一つにしてもココのは本物のようなぬいぐるみなんです。
国立公園に行ってデッサンをして

そこから模型を作ってそこに毛をいれていく。
触ってみると足の付け根のふくらみなんてうさぎそのもの。
 
こんなことがありました。
3万円くらいのちょっと値がはる

本物そっくりのネコのぬいぐるみがあったんです。
 
実物大のそのぬいぐるみは

電車の中に持ち込まれた時はまわりの人が
本当にネコがいると思ったほど。

 
それを贈られた男の子は

そのぬいぐるみを片時も離さなくなりました。
どこに行くにも一緒。
ぬいぐるみは男の子の友だちになったんですね。」
 
「しろいうさぎとくろいうさぎ」の本と
絵本そのままのうさぎのぬいぐるみがあったり、
「はらぺこあおむし」の本と木でできた
あおむしのおもちゃがあったのに感動していると・・
 
「わたしたち大人は絵本の中の世界と
現実の世界をきっちり分けてしまうけれど、
子どもたちにとっては目の前のものはすべて一緒なんですね。
絵本の中のものを外にもってくることによって
つながりを作ってあげる。
  
絵本の中でみたものと外の世界にあるものが
自分の中で繋がった瞬間「あ、これか!」とわかったときの
子どもたちの感動を大切にしてあげたい」
 
(造形教室もあるということで、)
「絵本を読んだり、おもちゃで遊ぶというのはインプット、
作るという作業はアウトプットです。
子どもたちはいろんなものから学んでる。
 
泥水の中から色のきれいな組み合わせを見つけてきます。
親はそれを信じて待ってあげることが大切。
そしてできた時には思いっきり褒めてあげる。
それが本人の自信につながります」
 
「作るという作業はいろんなことにつながっています。
まず色を選ぶ、形を選ぶ‥人生において
わたしたちはいろんなものを選んでいきます。
親に与えられたものばかりではいけなくて、
いつかは自分で選んで生きていきます。
 
何を自分が選ぶのか、子どもの頃から
見極めていくことはとても大切なんです。
 
そして、今社会をひっぱっている大人たちは
みんな遊びを仕事と分けていなかったり、
好きなことをやっているから苦を苦と
思っていないということが多いと思うのですが、
何かを作っているときの子どもたちはまさにその状態です。
 
泣きながらでもやりたくてやる。
できないのがくやしいけど、どうしてもできるようになりたくて。
社会に出て必要になってくるのはそんなモチベーションです。
 
ここでのものづくりは幸せに生きていくための
ベースづくりなんじゃないかと思うことがあります。
むしろ生きることそのものなのかも。
今、この一瞬を楽しむということ。
子どもたちは放っておくと自然とそうなるんですよね。」

 
三角形に切った段ボールに子どもたちが塗った色は
彼らのエネルギーそのものだった。
 
ギラギラとしたそのエネルギーを外に出す子どもたちは
どんなに生き生きしていたろう。
そして心模様をそのままあんな風に色にできる子どもたちを
とてもうらやましく思った。

2009年8月9日日曜日

奈良 ~法隆寺~


そのあと土曜日は奈良へ足をのばしました。
 
いつかの夏休みによく似た感じの夏の日。
いつも「うるさいなぁ」と思っていたセミの声も、
ここではとても心地いい。
 

夏の空って雲の形がきれいだね~、と
ぼーっと空を見上げる。
 
一緒に行った幸子は小学生の頃、
自由研究で空の観察って毎日写真を撮って記録してたらしい。
そんな研究、今こそやりたい。
 

まずは法隆寺へ。
世界最古の木造建築。
 
一番の興奮は玉虫厨子!
日本史の資料集で何度も見たそれは思っていたよりも
ずっと大きくて感動した。
 
本物を見るってこういうことなんだろう。
教科書の上の文字で覚えたことはなかなか残らないけれど、
実際に千年以上の時を経てきたものを目の前にした時の感動は
きっと忘れない。
 
テストのためではなく一つの興味として
そんな風にじっくり学んでいきたかったな、と思う。
まぁ、そんなことしていたら受験には
絶対間に合わなかっただろうけど(笑)
  
何にしてもあの頃、その知識が何の役に立つなんて
全然わからなかったけれど、ある程度知っているというのは
大人になってから例えばこんな風に旅に出たときでも
感動が全然違う。
 
推古天皇を知っているのと、いないとでは
やはり同じ場所に来ても、同じものを見ても
そこから広がるストーリーの大きさ・深さは違ってくる。
 

一番好きだったのはココ。
法隆寺夢殿。
 
聖徳太子を偲んで739年に建てられたもの。
ゆったりと静かな時間が流れていた。
きっとここの時間の流れ方はずっと変わらずにきたのだろう。
 

この回廊の屋根の低さと木のやさしい丸みは
当時の人の心模様をよく表していたような気がした。
 
黙ってここに佇んでしまう。
何も言わずとも、お互い同じタイミングで
同じことを自然とやってしまうこんな友人と
一緒に来れたことをほんとによかった。
うれしくて思わずシャッターを切る。
  
本当に仲の良い友人というのは
時間の流れ方が一緒なんだな、と思う。 
 
夢殿から出てくるとこんな看板を発見!!
 

さっそく入ってみることに。
 

いかるがそばを目当てに行ったのだけど、
「熱いで~、ほんまにええの~?」とおばちゃんに聞かれ、
三輪の冷やしそうめんに変更。
 

 

 

 

たまたまタイミングよくテレビではさんまさん。
奈良でさんまさんに会えるというのは
迎えられた気がして何となくうれしい。
 

そうめんは本当においしかった!
普段あまりそうめん食べないわたしなのですが、
しっかりと主張のあるこのそうめんはハマりました。
 
サイコーのお昼ごはん。
ちゅるちゅるっとごちそうさまでした。
 

奈良 ~東大寺~


お腹がふくれたら、今度は東大寺へ。
 
シカたちがナンパ待ち・・ならぬ、シカせんべい待ち。
 

 

 
南大門。
小学校の修学旅行で来たときは
一瞬で通り過ぎてたような気がするけど、
大人になった今、あまりの感動にしばらく動けなかった。
 
こんなに大きかったっけ、南大門って。
規模が違う!
 
金剛力士像は少し離れると絵みたい。
 

その足の形の忠実さ。
 
横で見ていた小さな女の子が一言。
「動きそう・・」
 

 

 

 

いよいよ大仏殿。
これもあまりの大きさに息をのむ。
 

これを人間が作ったなんてとても信じられない。
 
当時、天然痘の流行や飢饉などが重なって
聖武天皇はそれを仏教の力で何とかしようと
国ごとに国分寺を建てることを奨励し、総本山として東大寺を建てた。
  
 
ただ真剣に民のことを思って選んだチョイスだったのだと思う。
 
一方で、建立に駆り出された民たちは、
それよりももっと直接的に自分たちを助けてくれと願う者も、
この世がこれでもっと良くなるのであれば、と思った者もいただろう。
 
いろんな心模様があった。
だけど、後の世に充満するような「私利」「私欲」は
あまりなかったような気がした。
 

後ろから見た大仏さまは、こんな感じ。
建物全体で大仏さまを支えているんだぁ。
 

 

 

 

 

 

 
 
奈良はなんだかいろんなものがそぎ落とされてシンプルなような気がした。
逆を言えば、時間を経るごとに人々はいろんなものを
上にくっつけてきたのかもしれない。 
 
入ってきたばかりの仏教の姿がそこにはあったし、
建物の裏に込められた願いもとてもシンプルなものだった。
 
例えば、この後に行った興福寺は大化の改新の成功を願って
中臣鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために建てたお寺を
平城京の遷都の際に左京に移したものだったり。
 
自分の権力を誇示するためのもの以外のものが多かった。
 

吉野葛のあんみつを食べながら
そんな風に歴史に想いを馳せるのでした。
 

帰りの電車に乗る前、空はこれ以上ないほどに
鮮やかなオレンジ色を見せてくれた。
 

 

 

海みたい。
 
いろんなものが入り混じる。
 
この空はきっといろんなものを見てきたんだ。
それこそ大仏建立の様子から
今ここでシャッターを切るわたしの日焼けした顔まで。 
 
全てを含んで今この色を出していることの意味を
疲れた頭でなんとなくぼーっと考える。
 

柿の葉ずしを食べた後は、もう夢の中。
 
何か夢を見た気はするけど
何の夢だったのか全く思い出せない。
 
寝ぼけ眼で名古屋へ降りた時は11時半になっていました。
そしてまた、いつも通りの夏の夜。

太陽の塔


次の日は朝から太陽の塔を見に行ってきました♪
 

今、ちょうど岡本太郎さんの本を読んでいて、
どうしても見に行きたかったのでした。
 
本を読めば読むほど、
なんて考えのしっかりした人なんだと驚くばかり。
あらゆることに対して自分の答えを強烈に持っている。
  
彼は本の中で、
「一発の弾が胸をさしつらぬいたとき、
ゴッホは初めて、自分が追求していた
芸術のほんとうの意味がわかった」と書いていた。
 

では、太郎氏自身はどうであったか。
この塔を前にして、彼の答えはここにもう出ているような気がした。
 
これはあくまで私の想像でしかないけれど、
これは考えて、練って、練って出てきたものではない気がする。
自分の中にもういつの間にかあった答え。
 

「もうわかってるんだ、どうしたいか。
 あとは頭の中にあるものを外に出すだけ」
そんな作業だったんじゃないか、と。
 
きっといろんなストーリーがあるんだろう。
それについて何の文献も読んでいないけれど、
今はあまり読みたくない。
 
彼の出した答えを正確に知るよりも
それを想像することを楽しんでいたいから。