2009年6月6日土曜日

ゴーギャン展


 
ようやく行ってきました、ゴーギャン展!
好きなものは最後に食べる派です。
いや、それにしてももっと早く行きたかった・・
 
ゴーギャンというとやはりパッと浮かぶのが
山吹色の肌、ベタッとした力強いタッチの南国の風景。
だけど、彼は最初からこの描き方だったわけではなく、
初期の頃はピサロに憧れ、印象派的な絵を描いていた。
 

  
そこから今のような作風にちょっとずつ変わってくるのだけど、

ここはまだきっと自分のやりたいことの
キーワードだけは出てきているんだけど、
まだ答えは見つかっていない状態。
 
先日、世界のナベアツが
「3でアホになる」を生み出すまでのストーリーを見ていたら
ナベアツは最初にキーワードとして
「アホになる」というのだけ出てきていて、
でもそれをどう使ったいいのか・・と悩んでいたある日、
3つ目の色だけ変わっている飛び石を飛んでいるときに
「コレダー!」と思いついたのだそう。
 
キーワードだけは出てきているんだけど・・という感覚はよくわかる。
自分も今その段階にいると思うから。
そして、ゴーギャンもこの段階では
まだキーワードだけだったんじゃないかな。
   
大きく変わったのはタヒチに行ってから。
1889年のパリ万国博覧会。
フランスの植民地であったタヒチの大展示場が設けられていた。
そこでゴーギャンは「タヒチに行くべきだ」という答えを出す。
  
そこでゴーギャンがもしタヒチへ行っていなければ、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
という名画が誕生することも、
わたしがそのポストカードを買って誰かに手紙を書くこともなかった。
 
人生とはおもしろいもので、
どこでどんなきっかけが答えを導いてくれるかわからない。
そのきっかけはもしかしたら今日かもしれない。
 
そして、やはり見どころは↓
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
  
絵も売れず、娘を亡くし、ドン底にいたゴーギャンが
自殺する前に(未遂に終わったが)、ある意味で遺言として描いたこの絵は
139.1cm×374.6cmというとても大きな作品だった。
 
ただ佇むしかなかった。
この絵の前にどれくらいの時間いたのかわからない。
同じような人は何人もいたように思う。
 
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
答えを探しながら筆をおろしていたのだろうか。
描き終わった後に答えは見つかったんだろうか。
それとも見つけた答えを確認しながら描いていたのか。
 
わたしの答えは?
 
この絵はいろんなヒントを含んでる。
耳をすませば声が聞こえてくるようだ。
右下に描かれた女性たちに
「あなたにはきっとまだわからない。
 何年かしてもう一度いらっしゃい」そう笑って言われた気がした。
 
そう、やっぱり考えても考えても答えはわからなかった。
 
だけど、ただ頭をからっぽにして絵を見ていると
なんだかちょっと「近づけた」ような気がしていた。
 
きっとこの先、何年か後にこの絵を見たとき、
わたしの答えはもう少し固まっているのかもしれない。
 
ゴーギャン展はボストン美術館で6月21日まで!